プロフェッショナル松下浩二のルーツをその少年期に見つけてみよう。上の兄が卓球を始めて、それにつられるように浩二と雄二の双子の兄弟は小学3年のときに卓球を始めた。
3人兄弟の次男。しかし、次男としてというより双子の兄としての浩二は、常に雄二との比較の中で育っていった。この世にほとんど同時に生まれた双子の兄弟は、競争相手としての兄と弟の関係になっている。
− やっぱり双子というのは特別?
「あいつ(雄二)と一緒にやっていたというのは、自分の育った中では大きな比重を占めますよ。他の人にも負けたくないけど、一番身近な人間には余計に負けたくない。食事のときでも好きなものが出れば雄二と競争になる」
小学4年のときに今の日本の卓球界を支えている松下兄弟と渋谷浩との出会いがある。転勤で名古屋に移ってきた渋谷家。松下兄弟は1週間に一度豊橋から名古屋のクラブに出かけ、渋谷五郎(浩の父)さんから卓球を教わり、同時に渋谷浩と競い合うようになる。
「(渋谷)浩のほうが強かった。同じ歳だったし、すごく悔しかったし、ものすごく刺激になりました。それまで自分が一番強いと思っていたのに、県内に自分より強いやつが現れた」「練習は毎日やってたけど、卓球をやらされている感じはなかった。ぼくは21年間卓球をやっているけど、今まで卓球をやらされたということは一回もない。自分が好きでやっているものだし、ある意味ではわがままかもしれないけど、親父にもやりたくなければやめろ≠ニいつも言われていた。
雄二は違う。あいつはお尻をたたかれて、あんたやんなさい″と言われていた(笑)」
松下浩二と渋谷浩はその後、熾烈なライバル関係を築いていく。全国中学校大会(全中)で渋谷は3連勝を果たし、2年、3年のときに松下浩二は決勝で渋谷に敗れた。
桜丘高に進んだ松下兄弟と熊谷商高に進んだ渋谷。そして、またもやインターハイの2年と3年の決勝で松下浩二は渋谷に敗れた。しかもリードしながらの逆転負け。
勝負弱い松下浩二、勝負強い渋谷浩という見えないレッテルが貼られようとしていた。
− 「浩二は勝負弱い」という声は……。
「言われてましたよ。日本一になる、イコール浩に勝ちたい″というだけでやっていた高校3年間でした。それだけで卓球をやっていた。今思うとそれってすごく屈折してますよ。脚光浴びるのはいつも彼だし、ぼくはいつも2番目だから勝てないことにコンプレックスを持ってた。なんかムキになってました。でも、それだけ浩がすごかったということ」
卓球一家のサラブレッドとして、そして将来有望なチャンピオンとしてスポットライトを浴びていた渋谷浩。かたや万年2位で、取り上げられるのは双子の異色プレーヤーとしての松下浩二。
松下兄弟と渋谷はそろって明治大学に入学。大学1年の冬に浩二は87年世界選手権に日本代表として初出場を果たした。しかし、その直前の全日本選手権ではベスト32どまりで、この選手選考にはブーイングも飛び交った。
「ぼく自身は全然平気だった。超ラッキーです。これでやっと自分の力を世界で試せる、と。まだ若かったから負けて元々で、失うものは何もなかった。ただ自分のキャリアを考えたときに、あのときの出場はすごく大きい。経験するのと経験しないのでは全然違う」