| 松下浩二 スペシャルインタビュー (2004.6.22 青山京寿々にて) | ||||||||||||||||||||||||||
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−V− 夢の続きへ ―さて4度目のオリンピック、どうしましょうか。 松下 そうですね。やっぱり、成績だけで過去三回を見ますと、92年で負ける悔しい思いをしましたね、予選リーグ落ちで。オリンピックなのに新聞にも出ていないんじゃ、これじゃあなんか寂しいし、いかんなあって。 ―かなり寂しいよね。 松下 だからオリンピック出場くらいで浮かれてたんじゃダメだなあって、96年はしっかりやろうって、アトランタに乗り込んでダブルスベスト8で、シングルスも16位に終わってしまって、それもがっかりしましたよね。ほんと、ダブルスに関しては組み合わせ次第で優勝できるんじゃないかって話もあったくらいですから。そこで97年世界選手権やるぞってなるんですよ。でもまた寂しい思いをして(成績)今度は2000年シドニーだな、と。ダブルスはだいぶ下地ができていて、シングルスも世界ランキングで17位にきたんです。どの選手とやっても対等にやっていたし、勝てたし、これはいけるんじゃないかなと。またもやベスト16で終わってしまって。もうそのときは「もう卓球も終わったなあ」って。 ―なのに諦めない人ですねえ。 松下 今回アテネ、発祥の地でしょう。もちろんメダル欲しいですよ、でも好きで始めたわけですし成績プラス、やっぱり悔いの残らないようにオリンピックゲームを満喫したいですよね。楽しむっていうのは、いい加減ってことじゃなくて、自分がやってきたことを全部出すってことですよね。ベストのパフォーマンスを演技するってこと。特に僕の場合は、守備の選手とか、世界的にはもう全くいないような中で、カットマンとしての存在感を十分にアピールしたいんです。プロになるときに決めた、僕にしかできないもの、それをオリンピックでパフォーマンスするっていう考えになりました。 ―卓球やって何年ですか。 松下 もう28年。卓球やらない日はないですからね。この期間卓球そのもののスタイルが大きく変化してしまって、特にこの10年間はそうですよね。中国なんかも「ええっ?」「あれっ?」みたいに、すごく進歩していますよね。先ず用具が進歩して、ボールの反応がすごくよくなって、ラケットとラバーをつける接着剤もできて、それを塗ると膨張するから、また反応するんですよ。だから卓球がめちゃくちゃ速くなっちゃいましたよね。しかも技術的な部分もみんなオールラウンド的になってきたんで、道具も技術も幅広く上がってきている。 ―そのなかで自分のスタイルを守り、こだわると。・・・ 松下 歴史の確認みたいですから。30年前と変わらないですから、僕のスタイル。ビデオ見ても。やっぱり、こうして、返してますからね。打ってくるボールは早いですし、ディフェンスするのがなかなか難しくなってきているんで守備の選手も打つ選手と同じくらいの攻撃をパワー、攻撃力をつけないといけないというように思いだして・・・で、そういう攻撃練習を増やし、以前よりもやっぱり打っていく回数が多くなりましたよね?僕にしかできないスタイルだと思います。 ―僕しかできない、を貫いている点で達成感がありますか。 松下 今の時点においては、ですね。ある程度。うーん。満足はしていないですけど、悪くは無いですね。満足したくないから、100点とはいえないけど、悪くは無かったですね。好きなことを普通にやっているってことは幸せだなあと。 ―ドイツでは3年暮らして、これもプロとして初めて海外でプレーをしていますよね、この経験は。 松下 自分で考えてやること、オリジナリティというのを徹底的に考えさせられましたね。これからの日本の卓球が良くなるためには、もちろん外国の技術的な部分は受け入れていかなければならないでしょうけれども、外国の考え方は、例えば練習は「自分で考えて」練習量は短くして質を高くすればいいんだと言われるんです。でも、それが日本の選手にとってあてはまらないなあって思ってくるんですよね。なぜかというと、小さい頃から自主的にやることを教えられてませんから。海外なら、休みだとしても、自分がやりたいと思ったらやっているし、練習でも、自分が疲れていると思えば、休む勇気もある。日本の選手だったら、明日休みだったら10人いたら9人休みますもん。向こうの環境や枠組みや技術をいくら取り入れても結局は、指示待ち人間を作る教育が変わらないと何も変化がないのではないかと思いますね。小さい頃からの教育がベースにあって量より質を求めて短い練習の中で自分たちで考える。外側でいくら真似をしても、追いつくのは不可能だなあと思う面もありますね。変なたとえかもしれないですし、それがいいとは僕は全く思っていませんが、結局は軍隊方式でやるのが日本人にとって一番適しているんだ、という結論だって、決して嘘ではないかもしれませんね。 ―サッカー日本代表のジーコ監督が自由といったら、自由といっても約束ごとがないから、戦術がないから勝てない、と、選手ではなくてメディアが指摘したりする。自由って自分で考えるということですからね。反対に以前のトルシエ監督の場合は、これでもか、というほど細かな決まりごとが多かった。これは分かりやすい、目に見える成果になりやすいんです。松下選手が指摘するように、指示待ちという点で、サッカーで今起きていることは、スポーツ界にとってある意味で思想の転換という変化になるのかもしれませんね。 松下 学校教育でしょうね。 ―チームマツシタの将来的なビジョンを伺いましょうか。今後の活動の目標というのは? 松下 まだまだ自分たちのやりたいことと、現実との差がありますよね。トヨタカップを開催しましたが、社会情勢が混乱している世の中で、やっぱり国と国が平和であって欲しいし、アジアにおいては中国、韓国、北朝鮮、日本って言う、まあ昔から問題があった国々が平和でスポーツが続けられる環境であって欲しいし、やっぱりそういったものに貢献してないといけないと責任を感じています。もちろんプロの賞金付の大会をやりたいっていうことがあったんですけど、それだけじゃなくて、卓球というものを通じて社会に貢献してゆくものがないと、やっぱりスポーツは衰退していくと思うんですよね。卓球は本当に小さな世界なんですけど、その小さな世界であっても、やっぱり僕はスポーツをできる平和、っていうか仲良くやっていきたい。ミキハウスの社長じゃないですけど、やっぱり子供に夢を与えることです。子供から夢を取ると何もないんですから。 ―活動の内容としては、大会のコーディネートをして。それからご自身の活動があって。それからこういった社会的なボランティアというか、社会的な活動というか。これの三本柱ですか? 松下 あとはブンデスリーガを日本にもってこようかな、とか。プロだけ、アマだけではなくて、両方選べることがあればいいんですよ。卓球は好きだけど、そこまでやるのはっていう選手はアマチュアのほうへ行けばいいし、どちらがいい悪い、甘い厳しいではなくて、適した環境を選べるべきです。 ―4回五輪に出て、プロになって社長になって、社会への還元も考え、これからの夢は? 松下 選手としてなら、トップ選手の証として、僕の場合はどちらかというと日の丸つけてやってきた選手なので、やっぱり日の丸つけて海外でやれるうちは一生懸命やりたい。日本のチームに貢献できなかったときは、考えるでしょうね。今のところはまだ、日本のチームで、日の丸つけてやっているのでモチベーション高く持ってやってるんですけど。ドイツで暮らしたこともあるかもしれないんですが。 ―ところで愛ちゃん(福原)どうでしょう。初のオリンピック。 松下 僕は彼女に頑張って欲しいと思いますよね。やっぱり一生懸命やっている。一生懸命やらなかったら応援したくないですけど。一生懸命やっているから彼女は。彼女だけでなく、今は14から20くらい選手いますね。14歳から20歳の選手。海外に出てる選手、プラス日本でやってる選手もいいんですよ。 ―そういう若い選手たちにとって、松下選手はプロとしてではなく、好きなことを努力すれば歳は関係なく、長くできるんだっていう憧れにもなる。日本のスポーツ界では30の壁といってすぐに肩たたきする。 松下 僕は幸せですよ。好きなことやってごはん食べてる。 ―アテネまではどう調整しますか 松下 7月の上旬くらいに中国行きますね。それが、まあ最後の遠征で、北京で中国の選手と練習をしてきます。 ―ところで昨年結婚された奥様(旧姓:武田明子)の話ですけど、奥様はなんて仰ってますか?卓球選手ですから、4大会連続っていうのは、やっぱり大変なことだと。 松下 そのときだけは、やっぱり褒めてくれましたよ。「あなた、よう頑張ったなあ」って。僕をほめるなんて、珍しいこともある。なんか変な感じですよ、どうしたんだ?って。照れくさいような感じですね。今は立命館大学のコーチやってたり、本人もまだ卓球やってますけどね。全日本選手権出たいと言ってますね、出たければ出ればいいと思う。 ―奥様もアテネに? ―終わったら、少しのんびりして、結果を問わず、北京まであるわけですから 松下 ハハハ ―そうやって笑っていますけどねえ・・。私は信じませんからね。 |
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