| 松下浩二 スペシャルインタビュー (2004.6.22 青山京寿々にて) | ||||||||||||||||||||||||||
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−U− 夢の始まり 「男なら、一生に一度は勝負をしろ」 ―行動を起こしたんですね。 松下 はい、可能性があるとすれば日産自動車しかなかったんで、手続上の順番は逆になってしまったんですが、僕自身、飛び込みで日産のある銀座まで行って。 ―飛び込みって、若僧が?本当に 松下 大学3年のときに誘ってもらいましたでも一回断ってますから、卓球の関係者に話してをしてもそれは通らないだろう、と。で勧誘の食事会に一緒に在席した方が力を持っていそうで…思い出したんですよ。ひらめいて、小山さんておっしゃるんですが。営業の課長クラスで、受け付けで呼び出しなんてしてしまって。「おう!何しに来たの」なんて、江戸っ子風の方で。ちょっと相談に乗ってもらえますか?一回断ってこんなお願い、自分としても恥ずかしいんですが、やはりプロとしてやりたい、契約してもらえますか?と。そうしたら話し合ってみるよ、と言ってくださいましたね、ただ、手続きはあるから慎重に運ばないといけないんで、協和発酵にも失礼があっちゃいけないし、未熟な社会人に色々とアドバイスを下さいましたね。 ―いい方ですね。夢だけむき出しの若者を迎え入れてくれて。しかもアポなし。 松下 はい、小山さんが言ってくれたことを僕は今も忘れません。やっぱり男は、一生に一回は大きなことやらないとダメだよって。君に一生懸命やる気持ちがあるなら、俺らも助けられるかもしれないんだ、中途半端じゃダメだからと。僕はいい環境とか仕組みじゃなくて、とにかくプロの卓球の選手としてやっていきたかった。 ―カタチがほしかったということね。まずね。 松下 ええ。そういうところに自分をおきたかった。環境ももちろん欲しかったんですけど、逃げ場を自分で作りたくなかったんですよ。逃げ場あったら逃げるんですよ、人間。だから自分にはやっぱり厳しくいかないといけない、若いうちから逃げ場を作らないようにと考えましたね。 ―男なら一度は大きい仕事をしなきゃいけないっていうのは素敵な言葉だよね。 松下 そうですね。プロの第一号になればお前が死んでもその功績は残っていく、男が一生かける価値はあるって言ってました。その後、日産を、世間的にも話題になった事件をきっかけに辞められまして、コンサルタント会社とかビル清掃会社などを手伝っていました。そして2年前ですね、48歳で亡くなられて…それを思い出すと今でも辛いです。オレは癌で死ぬかもしれないけどお前は頑張れよ、なんて。辛かったですね。「人間生きていてナンボだから、死んだら何にもならんぞ」って言われました。だから「生きているうちに、明日死んでも悔いの無いように、お前はやりたいことをやったほうがいいよ、って言ってました。 ―松下選手は会社のキャリアもないし、不安だらけだったわけでしょう。そんな若僧に、男なら一生一度は大きな仕事をしろ、とか、病気の話、悔いを残すな、とか、対等に話してくれたなんて、本当に凄い話ですね。プロの道を開いてくれただけではなくて、人間としても男としても色々教わった。 松下 そうですね。だから、一日一日をしっかりやろうっていうふうに思いましたよね。最初の契約金は、今だから言えるんですけど、420万、後はインセンティブで日本選手権に勝ったら、プラス100万とか。日本人に勝ったらプラス50万とか。団体戦4つくらい勝つ制度があるんですけど50万とかボーナスがついて、金額はその位だったんですが、もう嬉しかったですよね。お金より、プロとしてできるっていうことがすごく嬉しかったですね。最初は勝てなくていじけてましたけど。 ―プロだ、プロだ、っていう気負いですか。 松下 ええ、朝から晩まで毎日卓球に時間を使うことができるプロのくせに負けるって、アマにも示しが付かないし、どうしても比較して見てしまったんでしょうね。あるとき、紹介をうけて高野山ってとこにいたんですよ。住職さんのところに3泊4日くらいで。挨拶したら、「まあ、ゆっくりしていってよ」って。 ―高野山ではあまりゆっくりできないんですけど。 松下 5時起床、お経読んで、お経聴いて、まあ後は好きにしてもらっていいからと、あるときお茶でも飲もうと呼ばれて部屋に行き、「君はこれから何をやりたいわけ」と聞かれたんです。「プロの卓球選手としてやることを決めて、スタートしようと思ってるんですけどなかなかうまくいかなくて」と。まだ12月で寒かったですね。住職は「ああ、そうか」と淡々と、「君はもちろんプロだから人と競うんだろうけど、人はあんまり見ないほうがいいね」って言われたんです。「あの人に勝ちたいから、といって競争心をあまり持たないほうがいい」と。「今日よりも明日、明日よりも明後日、自分が大きくなることだけを考えて一歩一歩やっていけば必ずいい方向に行くから」って。人よりも上に行ったらいいとか、努力を怠るとか、そういう比較ではなくて、例えばすべて良くても、次の日自分がもっともっと進化するように頑張っていく?そういうような考えを持っていったほうがいいってことなんですよ。人と見比べるってことをせずに、とにかく自分と向き合って自分が進歩することだけを考えて毎日毎日生活しなさいって。今も、その教えを守っているんですけどね。 ―小山さん、この住職さん、お2人は卓球選手ではないけれど、松下選手のプロとしての道を開いた方ですね。住職はまだお元気なんですか? 松下 お元気で、あれは日産と契約してもらった93年くらいですよね、それ以来お会いしてないんですが、手紙は頂戴します。もう10年ですね。ラッキーなことにプロになってすぐ優勝できましたけど、周りがこう作ってくれるものってありますよね、一人じゃ勝てないです。僕っていう選手をチャンピオンにするために本当に沢山の方が協力して、そこのステージに上げてくれたっていうか、その力に感謝しますよね。 ―だからこそ4回出場ができるんだなって、なんとなくわかる気がしました。これだけの思いをもらって始めた仕事、そんな簡単には諦められないですね。 松下 ええ諦めないです。そんなことを思ったらばちがあたる。やっぱり背負っているものは重くないといけないです。一人で努力してやっていくのもありますが、あくまで自分の重みしかないですよね。自分の重みもそれなりにあるんだけれど、一人のことなら諦めるときは諦めちゃうんですね。 ―深い表現ですね。 松下 自分の事、人の事であって、卓球全体の事、日本の事であるっていう風に、どんどんどんどん背負っていくものが大きいと、簡単には諦められないですね。亡くなってしまった方たちがおられて、その人たちがそういう「死んだらダメだ」っていうことを仰っているなかで、その悔しさとかもある。きっと、もっともっと生きたかっただろうなって。そうやって自分に背負うものを大きくしなくてはいけないんです。 ―今ではチーム松下の社長でもある。プロになる夢も社長になる夢もかなえたわけです。 松下 これは自分のこと以上に、将来の卓球界がこうなったらいいなあとか、卓球ファンが卓球はこうなって欲しいなとか、小さい子が、僕がトップの選手に憧れたようにそういった夢を与えていけることを考えますよね。自分の好きなスポーツをみんなに知ってもらいたいし、知ってもらうように努力していかなきゃならない。地味だ、っていうコンプレックスを持っているのかどうかわからないですけど、自分の競技のステイタスっていうのを上げていきたいなっていう思いですよね。 |
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